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ABOUT私たちの道のり

大登の創業から現在に至るまでの困難と成長

下請けから元請けへ

代表の原﨑です。1978年に創業した大登は現在、東京都あきる野市に本社を置き、三多摩地区を中心に7店舗を構えております。平成20年代にどんどん支店を拡大し、右肩上がりで成長しています。しかし、現在に至るまではさまざまな困難や課題もありました。よもやま話として聞いていただければ幸いです。

まずは、創業時の苦労です。「代表メッセージ」でも書きましたが、私は種子島で生まれ育ちました。20代前半で結婚し、やがて子どもを授かりました。しかし、出産費用は7万円に対し当時の給与は2万5,000円です。親に頼るのが嫌だった私はそこで独立しましたが、種子島は家が決して多くない。生業としていたペンキの外壁塗装の仕事が、なかなかありませんでした。借金もしました。そこで、腹を決めて、住宅の多い東京へと上京します。それが、現在、本社のある、あきる野市でした。

やがて、バブル期が訪れます。いくら仕事をしても終わらない。当時、30人ほどの職人さんを抱えて下請けの仕事をしていましたが、バブル期の終わりと共に元請の会社の経営が怪しくなってきました。

「自分たちで営業をしないと、まずい。自分たちが元請け会社になるんだ」

それが会社の転機でした。25年ほど前のことです。リフォーム会社としての「大登」のスタート。しかし、それもまた、順風満帆な旅立ちとは言えませんでした。会社を畳もうと思ったこともあります。お金を借りられるところは、全て借りました。しかし、それでも経営が成り立たない。全社員に同時に給与が払えない時もありました。まずは職人さんと営業さん、そして幹部、最後に私――やはり、大事なのは社員です。つらい時でも、それは変わりませんでした。むしろ、社員あっての会社なのだ、とその時に改めて思い知らされたようにさえ思います。

そんな時にも踏ん張ることができたのは、子どもがいたからです。我が子の顔が浮かんでは、足をグッと地に着けられたのです。

マンション営業がターニングポイントに

では、窮地を救ったターニングポイントは何だったのか。それは、従来の顧客だった戸建て住宅のほかにも、マンションをターゲットに加えたことです。今でも覚えています。暑い夏の日、営業マンと一緒に八王子のマンションを手当たり次第、営業しに回りました。すると、5件ものマンションの契約が取れたのです。自分の胸が熱くなるのを感じました。夏だったからではありません。「これで乗り切れるぞ」という思いが、胸をよぎったのです。

それからというものの、これまでの苦労がまるで嘘だったかのように、経営は順調に回復していきました。平成20年代には立て続けに5つもの支店を開くことができたのは、前述した通りです。現在では、ドローン点検やカラーシミュレーション、赤外線診断など、最新の技術を用いたサービスを展開する会社にまで成長することができました。

私は、これまで生きてきたなかで、人に裏切られたことはあっても、裏切ったことはありません。それだけは自負できます。経営が苦しい時も、そこだけは守り抜きました。それもこれも、お客さまの笑顔があったからだと思っています。リフォームの工事をすると、家が見違えるように変わる。そして、お客さまが本当によろこんでくださるのです。

「大登さんに頼んでよかった。ありがとう」

職人時代にいただいた一言が、どれだけ私を支え続けてくれたことでしょう。今、このページを見ているあなたにも、このよろこびを知ってほしい。仕事をすることは、生きがいにさえなるのです。

少し話しすぎたでしょうか。この辺で、ペンを置かせていただくとします。あなたとお会いできることを、楽しみにしています。

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